曾野綾子さんの最近のエッセイ「魂の自由人」には、すばらしく心に響く言葉がたくさんたくさん書かれている。あまりにピシッと的確で、心地よいショックがある。
私は思わず「恐れ入りました、その通りです、これからはもっと自分に責任とります。」と、こころの中でつぶやいてしまった。
中でも惹かれた所を抜粋したい。
そもそも正しいことをすれば、その分だけ現世で報いられるのだったら、それはあまりにも現金な話なのである。自分が不幸な目に遭いたくないから正しいことをするのだったら、それは自動販売機でものを買うのと同じ商行為である。金を入れれば、それに相当する価値のものが出てくるのが自動販売機だ。
それと同じように、自分が現世でいい思いをしたいために善行をするということになったら、その行為はまことに浅ましい計算づくのものになる。人は純粋に神への忠誠や、自分の美学に殉じて、この世で全く報われなくても、するべきことをしなければならないのである。
精神世界でよく言われるのは、人生が不公平に見えても、長い目で見れば必ずみんな帳尻が合うようになっている、ということだ。そして自分で決めた目標とかテーマを生きるために一番いい設定の両親や人生を選んでいるのだから、その面では平等だ、とも言われる。
そう言われると「そうかあ、それじゃあしょうがないなあ」という気になるのだが、どこか不公平感はぬぐえず、自分だけが損をしているような感覚が残ったりする。単に自分が被害者意識にはまっているだけなのだが。
曾野綾子さんは別の所で、人生は不公平だ、というようなことを書かれている。そして、不公平だろうが公平だろうが、「この世で全く報われなくても、するべきことをしなければならない」と言う。
なんと小気味のいい言葉だろう。我の強い私は、何かするとすぐに見返りを求めたくなる浅ましい自分に気づきつつ、筋の通ったこういう考え方に触れると、ハッとして我に返る感じがする。
私の眼の病気について、当時私はエッセイの中でも書いているのだが、占いに凝っている二人の知人が、それぞれに強力に手術に反対していた。二人は全くお互いに知らない人で、占いの方法もまた別のものらしかった。ただ一致していたのは、どうしてもその年のその頃に、名古屋の近くの豊明で手術を受けるのは最悪の運をもたらす、と出ている、と言ったのである。
中略
私は二人の友情には深く感謝したが、その自然な運命を変えようとは思わなかった。その結果、私は純粋に医学的に言って四万人に一人というすばらしい視力を得たのである。つまり手術は大成功であった。
ついでに言うと、私は夫から習ってインチキ手相を見るようになっており、時々「当たっても八卦、当たらなくても八卦」を遊んでいる。その場を和やかにする目的には、手相見は大変有効である。
だから夫婦とも占いを頭から毛嫌いしているわけではないのだが、夫は占いで私が現実の行動を左右されることを決して許さない。夫は何にでもかなりルーズで、遊びの気分が濃厚なのだが、人生の真剣なこと、たとえば、進学、就職、家移り、結婚、旅行などということを、占いで決めることを許さなかった。それらのものは、経済状態、家族関係、体力、その人が今持っている情熱、社会の動きなどを考慮して決めればいいことで、決して占いに動かされてはいけない、と厳しいのである。
つまり占いや迷信の類で生活をしだすということは、魂の自由を失うことだ、という解釈である。
もちろん今までに何度も言っているように、私たちの判断が正しいということは決してない。人間は本来、間違えるものなのである。しかし間違えた責任は自分で負わなければならない。占い師がこう言ったから旅行を取りやめた。株屋がこの株か必ず儲かりますよと言ったから買って大損をした。
中略
旅行を止めたのも、株を買ったのも、皆その人が自ら選んだ理由があったからなのである。 中略
世界でもっとも自由な国・日本においては、すべての行動は、その人の責任においてしなければならないし、またそれを妨げる要素はないのである。
精神世界でよく言われることに「あなたが出したエネルギーが、あなたが受けとるものだ。もし今の状況が気に入らないのなら、あなたが出すエネルギーを変えればいい」というものがある。
また多くのワークショップやセミナー、占い、カウンセリングは、今ある現実を自分の望むものにどう変えるか、ということに視点があることが多い。
曾野綾子さんは、それが失明であろうと何であろうと、「その自然な運命を変えようとは思わなかった」と言う。徹底的に自分と自分の人生を受容し、それに責任を取ろうとする姿勢だ。 私はこの言葉にしびれてしまった。
そしておそらく、全く証明する手段はないが、この徹底した受容のエネルギーは、曾野綾子さんの運命を変えたのだと私は思う。与えられた運命を何も変える必要はない、という深い信仰と信頼が、逆説的ではあるが、彼女の未来を変え得るパワーがある、と思うのだ。それが四万人に一人という手術の奇跡的な大成功につながったのではないだろうか。
そして「占いや迷信の類で生活をしだすということは、魂の自由を失うことだ、という解釈である。」私も占い師だが、この言葉には賛成だ。
人が、自分で考えて自分で選択し、その結果が失敗であろうと間違いであろうと、自分の責任として引き受けることが十分に出来るならば、世の中の「占い師」「カウンセラー」「弁護士」などの仕事をする人たちは非常にヒマになるだろう。
そしてそれらの職業は、自分で何かを決断する際のこころの整理のサポートやリラクセーション、情報提供、というものになり、だんだんなくなっていくだろう。そうなったら、なんと風通しのいいスッキリとした世の中、そして人生になることだろう。
曾野綾子さんの言う「魂の自由人」とは、別の言葉で言うと、「自立した大人」と言えるように思う。非常に刺激的で魅力的な本だ。ぜひご一読あれ。
光文社「魂の自由人」曾野綾子著 1,500円+消費税
引用は「予定どおりにはならない」より
長い文章、読んでくださってありがとう。