「何のために人は生まれてくるのか」この根元的な問いに、面白い答えを考えた方がいます。
というより、面白い先生なので質問攻めにしているうちにそれを質問したら、私にとっては初めての答えが返ってきました。
「カルマを消す医学博士、石井健之助」先生です。
2002.8月〜11月
まずは「不思議研究所」ホームページ(検索で出てきます)を開けていただいて、下の方にある怪しげなタイトルの中から、「カルマを消す医学博士、石井健之助」をクリックし、プリントアウトしてお読み下さい。長い文章なので、画面で読むと疲れてしまいます。
私が石井先生に会ってみたい、治療を受けてみたいと思ったのは、「カルマを消す」という言葉に引かれたからだ。
先生によるとカルマとは一種のエネルギーの状態のことで、調節して消すことが出来ると言われる。
「カルマ」とはいったい何なのか、私達がこの世に生まれてくる目的が悪しきカルマを返し浄化するためなのだとしたら、
過去世を全て忘れて生まれ変わってくるこの地球のシステムは不合理過ぎはしないか、という疑問を常々もっていたので、
ぜひともお会いしたいと思った。
・初回・石井先生をムッとさせる
|・二回目|
・三回目|
・四回目|
東京の恵比寿駅から徒歩5分。8月の後半のある日、恐る恐る診療所に入ると
「あ、始めての人ね、そこの紙に名前書いて、書けたらそれ持ってこっちのベットに横になってね。」と言われた。
問診も保険証も何もなしらしい。
真ん中の通路をはさんで両側にカーテンで区切った狭いベットがたくさん並んでいる。
黄色い大きめの付せんに名前を書き、言われたベットの枕の横に付せんを貼って横になった。
石井先生が頭の辺りに来られて「あなたのポイントは子宮にあります。
みぞおちから入ってきた悪いエネルギーが子宮にたまって、それがあちこちに散らばってエネルギーをブロックする。
だから、あなたの場合は、頭が痛くても胃潰瘍でもガンでも原因は一つ、このエネルギーを調整すればいい。
今からやりますから。」と。みぞおちとおでこの上に板のようなものを乗せられる。
頭の向こうで何やら先生がタンタカタンタカされている気配。
しばらくするとエネルギーが身体の中を順番に回り始めた。常日頃どうも調子が変だなと思っている場所ばかりを、
足のほうからだんだん上へと念入りに暖かいエネルギーが何かをしていく。そのうちにとてもとても気持ち良くなり、
うつらうつらとろけてしまった。最後は口の前面上下でしばらくしびれて暖かく調整された。たしかこの口の所は、
不思議研究所のレポートの中で先生がエネルギーのポイントの一つだと言われた場所のはず。
先生はベットを次々と回って、あっちでタンタカ、こっちでタンタカ、私の所にも何度か来てタンタカしてくださっていた。
とにかく気持ちがいい。理想的な子宮に守られている胎児は、こんな感じでまどろんでいるのかもしれない。
「はいいいですよ、起きて、ベットの横に立ってみてね。」ずーっとこのまま寝ていたいと思いながらも、
心地よくとろけている身体を現実に戻しながら立ち上がると、ガシャッとポラロイドカメラで写真を写された。
この写真と付せんの名前だけが、いわゆるカルテらしい。
週一回でとりあえずあと五回くらい来なさい、と言われたが、大阪から通うことは無理なので遠隔での治療を申し込んだ。
もし遠隔でもこんなに気持ちがいいのだとしたら、昼間だったら困るなあ、
仕事中だったらどうなるのだろうなどと考えながらもそれも楽しみだ。
難病の友人もいるので、最初から遠隔だけでも効果はあるのですか、とたずねると、
大丈夫、身体の病気を治すことなんて簡単だよ、と言う。
あまりにサラリと言うのでその時はそのまま聞いていたが、後から考えると西洋医学で治せる病気は2割程度しかないと言われているのに、これはすごい発言だ。
ふと時計を見ると、もう一時間半もたっていた。が、これだけで帰るわけにはいかない。
せっかく来たのだからちょっとだけでも、とまだヨダレがかわかぬままに、さっそく先生を質問ぜめにする。
「みぞおちからマイナスのエネルギーが入ってくるんですか。」
「そう。そこが心で、マイナスのエネルギーが入ってくる。共鳴するんだな。」
「え、先生、みぞおちに心があるんですか。でも胸に悲しみがたまってたり、腹に怒りがあったりしますよね。」
「そんなこと言ったって、みぞおちにあるんだからしょうがないじゃないか。ここに入り口があるんだよ。
だから、治療中は外から入ってこないようにフタをしておくんだ。」そうなんやー。
患者さんも次々と来られるし、先生は忙しそうなので、私はポイントだけ質問しておこうと思った。
「先生、カルマが消えるって本当ですか?」
「ぼくは『無・機』の治療をしているんだ。」とムッとした表情。でもちゃんと答えてくださる。
「人間の身体は幽体と霊体で出来ている、無機というのは…(残念ながらここはあまり覚えていないのです)
…この『無』の図を見て質問をすると、イエスなら目の下が温かくなるしノーなら冷たくなるから。やってごらん」
これはよくわからなかった。
私の解釈では「カルマ」という言葉にはさまざまな意味や色を人はつけているので、
その言葉に反応する人が多くて、先生はその対応にうんざりするようなことがあったのではないか。
だから現在では「カルマを消す」というような表現はしないようになったのではないか、と思う。
私はしてはいけない質問をしてしまったのかもしれない。機嫌もあまりよろしくない様子だったけれど、
あちこちにあるさまざまな図をいろいろ説明してくださった。
・二回目・娘ととろける
|・初回|
・三回目|
・四回目|
9月の半ば、娘と実家に帰るついでに東京に寄り、一緒に治療を受けた。
娘は両方の眼球の奥にポイントがあるから、
風邪をひいても肩凝りでも癌でも原因はここ、と言われていた。
私は今回はお腹がとても暖かく気持ち良く、ほわんと気持ち良くとろとろ眠った。
お腹にあるマイナスエネルギーの塊がこうやって溶かされていくのだろう。
娘もわけがわからないまに気持ち良く寝ていた様子。時計を見るとやはり一時間半たっていた。
ベットから無理やり身体を引き離して起き上がる。
遠隔は何曜日にして下さっているんですか、と聞くと、朝きてやって合間にやって帰る時にやって、
年がら年中やってるから、5回分なんてもんじゃないよ、心配しなくていいよとのこと。
つまり、遠隔だと私くらいの感受性ではまず分からないということだ。
身体全体がとろとろウニウニでぼーっとしながらも、ちらりと先生の部屋をのぞくと、何やら面白そうな図がある。
「先生それ何?」と聞くと見せて下さった。宇宙の仕組みを描いたものを、コンピューターグラフィックにしてもらったのだそうだ。
大きな○の中に人の顔ににた感じの図形が描かれていて、見ているととても心地いい。宇宙全体の図でもあるらしい。
中心の所に私たちの魂の故郷があり、そこから私たちはやって来るのだそうだ。
人間の目に当たる部分が太陽で、そこから小さい○が連なっている。太陽系の惑星だそうだ。
天の川が両目のあたりに大きくかかっている。
横にはまた何やら面白そうな図がある。それはなに?と質問すると、仏像のたくさん描かれた本を取り出して、
この仏様の手の平と自分の手の平を重ねて感じてみなさい、と言う。やってみるとなんとなくいい感じがする。
この仏様は手の平で癒しを行うのだそうだ。また次の仏様も手の平、
それからまた別の仏様の耳の下を合わせてみなさいと言われてやってみるがよくわからない。
その仏様は耳の下で癒しをされるのだそうだ。人間が人間を癒すことは不可能で、仏様たちの分野なのだそうだ。
キリストも手で癒しを行うタイプだとか。そういったどこで癒しを行うか、というタイプを図にしたものらしい。
世界地図を切り抜いて、大陸の場所を現在の形とまるで違う形に貼り付けたものもある。
もともとの大陸の配置はこういうもので、日本が世界の中心であり、日本が大きく旋回して移動し、
現在の形になっているという。「試しに日本を見て、このルートで動かしてごらん。
そして反対周りにしてみたらわかる。気持ち悪いだろ。」そう言われればそうかも。
「日本が世界の中心だというのは本当なのですか。」
「そう。地球は日本を中心として作られて、人間は音といろはで出来ている」
「? 音といろはですか? ということは、人間は日本人が中心なんですか?」
「そうだよ。今度の本に全部載ってるから。こういうことだよ。いろはにほとへと、と言いながら、自分の耳から頭を一周してごらん」
やってみる。娘も横でやっている。
「今度は反対周りで同じことやってごらん」
やってみる。なんとなく違和感がある。
「だろ。左目から右目にまっすぐに、ちりぬるを、と思いながらやってごらん」
という調子で、身体のあちこちのラインに言霊のエネルギーを流してみた。
残念ながら私にははっきりしたことはわからなかった。練習が必要だとのこと。
そういったことが全て書かれている本をもうすぐ出版するのだそうだ。11月ごろにできあがるとのこと。とても楽しみだ。
なにしろ治療後のウニウニの頭で質問するので、私も要領が悪い。
こんな話もあった。先生は社会性と心と身体の三つの治療をしているとのこと。身体の病気を治すことは簡単なもので、それだけではダメ。
人生の邪魔をするのは、どうしたらいいのか決断できないことと、身体の不調だという。無の図とKiの図があり、
無の図を見てその判断をし、Kiの図を目でたどって身体を直す。ずっとやっていると難病でもかなりよくなるのだそうだ。
「無の図で質問した時に、答えを下さるのはどなたなんですか?」とたずねると、「それはあそこだよ。」
それはあのコンピューターグラフィックの人間の顔の様な図の真ん中、私たちの魂のふるさと、
私たちの本体のある所なのだそうだ。だから間違いがないと言う。
スリーインワンで出てくる答えは、先生のシステムの中ではどこになるのだろう。
質問してみたかったが、スリーインワンの説明をするほど脳みそが戻っていないのであきらめた。
散々話を聞かせていただき、やっと帰れる状態になって診療所を後にした。
他の方達は終了するとさっさと足取り軽く帰っていくのだけれど、
私はいつもとてもそのままサッサカ帰れるような状態ではなくなる。気持ちよすぎて。
先生の所を出てから娘と駅の喫茶店に座り込み、三時間近くしゃべっていた。
タンタカタンタカのポーズを盗み見たのをまねしてみたり、先生はああ言った、こう言った、とか、
エネルギーが流れていく感覚はどうだったかとか、先生は何者なのかとか、話題はつきなかった。
娘にとっても新鮮な面白い経験だったようだ。
・三回目・流れ星さんのグルグル
|・初回|
・二回目|
・四回目|
9月末、どうしても直接行って治療を受けたい、という流れ星さんと一緒に行く。
彼のポイントは後頭部なのだそうだ。そういえばストレスがかかったり疲れたりすると、
よく頭がぐるぐる廻り、何もできなくなっていた。目の疲れもいつも半端ではない。
後で聞くと流れ星さんもやはり非常に気持ちがよくなったらしい。
頭の中から何かがチューブでギューっと搾り出されるような感じがしたそうで、その内にガーガーいびきをかいて寝ていた。
私はいつものようにとても暖かく気持ちよく、でも今回は足首や手首、肩の間接のあたりに微妙な痛みがあった。
なんだろうなあと、その痛みを感じながらとろとろうつらうつらしていた。
終了した時に先生に「今回はあちこち痛かったわ」と言うと、「もつれていたエネルギーの糸をほどいているようなもんだから、
ひっかかったりして痛いこともある。間違ったことはしていないから大丈夫」とのことだった。
前回一緒に来た娘の体調が前日から悪くなっていたのでそのことを言うと、写真を出してきて、ちゃんとやっておいてあげるから、と。
娘にメールでそのことを伝えた。確かにその直後から娘の調子がよくなり、普通ならその後五日間くらい下り坂でどんどんひどくなり、
痛み止めもきかず機嫌も悪くどうしようもなくなるのに、今回はそれがなかったようだ。
そしてまたまた得意の質問攻め。ウニウニと惚けながらも好奇心だけは元気だ。
遮光器土偶と名付けられた埴輪の絵がある。三枚の絵が縦に並んでいる。一番上が遮光器土偶、これは太陽神なのだそうだ。
大日如来や天照様のことですか、と問うと、もっと位の遥かに上の神様で、太陽そのものなのだとか。
真ん中は山の描かれた絵、バルセロナらしいが、須弥山なのだそうだ。一番下が地獄を治める神様、名前は忘れた。
石井先生は、この地球には地獄にもちゃんと神様がおられるのだ、と言われた。そういえばそう。
そうではない世界もあるということかと思う。
前の○○総理大臣は、この縦のラインのどこに置いたらピッタリ来るか、○○さんはどこか、とか言われて試してみる。
ビタッとくるのがその人のいる場所だ。私にはなんとなくしか分からない。そういわれるとそうかなあ、という程度だ。
流れ星さんはかなりわかるらしい。後で私はどの辺なの?と聞くと結構上の方らしいので、信じることにした。
昭和天皇の写真がある。昭和天皇は神人だったのだそうだ。日本国憲法の前文もある。
とても美しい素晴らしいものだ、とのこと。私もそう思う。
妙に心ひかれて、また宇宙の図を見せていただく。人の顔の目にあたる所にあるのが太陽で、太陽系の惑星が○で小さく描かれている。
太陽系は太陽が一番霊的に高く、外にいくほど低くなるのだそうだ。
だから火星や木星のような所に行こうとするのは良くないしうまくいかないとか。
ふと思い立って質問する。
「先生、この外側の円の外には何があるの?」
「また別の世界がある。この宇宙の図と対極になるものがあって、そこは非常にマイナスで、観ることができない。」
「それはこっちの世界のいわゆる地獄とは違うの?」
「全然違う世界だ。そんなもんじゃない恐ろしい世界がある。」
なんの話からその話題になったのか忘れたが、こんな話もあった。
「動物はみんな、太陽から降り注ぐ炭素を窒素に変換するために生まれてくるんだ。
クジラはそれが下手な動物だから、日本人は昔からクジラを食べてきた。それでよかったんだよ。」
「それなら先生、人間はなんのために生まれてくるんですか。炭素を窒素に変換するのが動物の役割なら、
人間である必要はないんじゃないですか。」
「そりゃあ、コントロールする存在が必要だろ。だから人間がいるんだよ。地球が温暖化してるのも、
炭素を窒素に変換する能力がみんな落ちてるからだ。」そういう説があるのか、なんか面白そう。
「じゃあ先生、私たち個人が出来ることって何なんですか。」
「だから、嫉妬や嫉み、恨みを持たないこと。心と身体は同じだから、そういう感情を持つと、
炭素を窒素に変換できなくなって病気になって、地獄行きだ。」
炭素を窒素に変えるポイントが、人のこころなのだそうだ。
こころと身体は同じものの違う表現だというのは、すでにあらゆる所で言われていることだし、
セッションをしているとまさにその通りなのだという体験をよくさせてもらう。
でも、そこに炭素を窒素に変換するという人間のお役目が介在しているという説は始めてで、新鮮だった。
ならば窒素とはいったい何のだろう。炭素とは何なのだろう。
石井先生説が正解なのかどうかは別として、私にとってはとても興味深い説だった。
石井先生に見える、見えない世界の仕組みの片鱗をのぞかせてもらった。
遠隔の治療も申し込んだ流れ星さんはそれ以来、頭がグルグル回ることもほとんどなくなり、かなりいい調子になっている。
朝早く起きるのがかなり大変で苦痛だったのもウソのように無くなり、早朝でもさっさと起きて活動している。
何かショックを受けた時の立ち直りもずいぶん早くなった。
まだ時々頭がぐるぐるしたり、何かを拾ってしまったりするが、自分たちでなんとかできるようになった。
うちの娘もかなり体調がいい。やはり遠隔もお願いしていて、今までどこに連れて行ってもほんの少しの効果しかなかったのが、
ほとんど気にならないくらいになった。
私は最近下腹がガンガン熱くなることが一日に何回もあるし、どうもかなりパワーアップしているらしい。
今までの不調の場所が、以前よりはっきりと不調を感じるようになっている。今まで感じにくかった怒りの感情が、
はっきりとわかるようになってきた(これのおかげで、いい人仮面がはずれてしまった)。
絡んだエネルギーの糸がほどかれている最中ということなので、これからどう変化していくのか楽しみだ。
文中の石井先生の言葉は、ウニウニ状態で聞いたことの記憶であり、不完全であることをご了承ください。
今年、2002年11月には先生の本ができあがると聞いていますので、私の記憶の間違いや不完全な所は、
その本を入手した後に訂正させていただきます。
・四回目・とろけそこなう
|・初回|
・二回目|
・三回目|
11月始め。ベットに寝ると、先生が来ていつものようにみぞおちとおでこに何かを載せる。
「先生それは何?」と尋ねると見せてくださった。みぞおちの方は「どっこ」と漢字で書かれている。弘法大師の持っていた巨大な鉄の棒の端についていた法具の名前だ。おでこの方は、先生の若かりし頃の写真だ。
「この人にはすごいパワーがあるんだよ。だからおでこからそのパワーを入れるの」そういえば先生は前回も、かざってある自分の若い頃らしき写真を「この人」と言っていた。
さあ今からとろけるぞ、と思うと、先生はどんどん話し出す。しまった!! 質問は終わってからにするんだった、と思った時は遅かった。先生のしゃべりたいエネルギーに火をつけてしまったらしい。せっかくせっかくせっかく気持ちよくとろけようと心の準備をしてきたのに……。
あちらでタンタカこちらでタンタカしながらもどんどん話してくれる。こころがどこにあるかも最初に来たとき聞いたし、そこから悪いエネルギーが入ってくるから治療の間はそこをふさいでおくことも聞きましたやん。と思いつつも、機嫌をそこねたりしないように、私は時折先生の話に相づちを打つ。先生の話はどんどん進んでいく。
が、新しい面白い話もあった。神様は浮気やウソには寛大なのだそうだ。人を好きになるのは自然なことだし、ウソも相手のためにつく方便もあり、そういうことで神が怒ることは少ないのだそうだ。
ある人が家の修理で床下を掘ると、お地蔵さんがでてきて信仰心のない人で、なんだこんなもん、と蹴飛ばしたら、次の日に急死したらしい。「決してしてはいけないことがあるんだよ。」とのこと。そして、ねたみ・そしり・嫉妬・意地悪が一番問題だと言う。はい、それも来るたびに伺っています。
「意地悪が身体のどこにあるか知ってるかい?」え?! それは初耳。とろけるのは諦めて、頭を質問体制に切り換える。
「意地悪は、女性は膣、男性は精液が通る尿道にたまるんだよ。」!!!???!!! ということは…セックスってお互いの意地悪エネルギーが関係してるの???!!!??? もう一つの疑問がわいてきた。それは初回に来たときには誰もが教えてもらえるらしいのだけれど、みぞおちから入ってきたマイナスエネルギーがどこにたまるか、というのが人それぞれあり、私の場合は膣だと聞いていた。
ということは「先生、私って意地悪なの?」
あまりにストレートな質問だったらしく、先生の目がキョトキョト左右に泳ぐ。「いや、意地悪エネルギーは肉体上のもので、誰でもあるし取れやすいから。それよりも霊魂霊体の治療のほうが難しいんだよ。」とさりげなく話題を変えられた。みぞおちから入ったマイナスエネルギーがたまるのは、たぶん霊体レベルか何かなのだろう、と推理した。では意地悪エネルギーはどのレベルなのだろう。聞きそびれてしまった。
「先生、幽体離脱しそうな人がいるんだけど」と言うと「それはしないほうがいい、幽体が安定していないからそういうことがおきるんだ。苦しいぞ。この間も大学の教授で、そんなことは絶対信じないというから、じゃあ実験しようということになって、その先生の幽体をぬいて横のソファーに置いておいた。絶対苦しくなって電話してくるにちがいないと思ってたら、夜にかかってきて、蚊の鳴くような声で、脂汗だらだら流しながら先生の話を信じますから何とかしてくれっていうんだ。苦しくて苦しくてしょうがないから。それでまた幽体を戻してあげたら、5分もしないうちにまた電話があって、助かりましたありがとうございましたって言ってた。だからそんなものはするもんじゃないんだよ。」
そうかあ。でも、一般的に言う幽体離脱と先生が言っているのは違うのかもしれない。
いつのまにか治療も終了。今回はふらつくこともないが、頭は少しぼーっとしている。
治療ベットの横にある先生の小部屋に押し掛けて質問攻めの続きをする。
ここに紹介した人でヒーリング能力が飛躍的に強くなった人がいるのでそのことを言うと、能力が出てきたんなら、何かお役目あるんじゃないの、とのことだった。
そして、「ヒーリングは神様がするもので、人間がするもんじゃない、自分のエネルギーをあげてしまうからみなボロボロになる。いつだったかヒーラーの集まりというところに行って話しをしてくれっていうから行ったら、ボクが行くなりみんなボクからエネルギーを吸い取ろうとするんだよ。普段人にあげてばかりで枯渇しているから。ヒーリングなんてするもんじゃないよ。ボクがしているのはヒーリングではなくて、
その人のエネルギーの流れをせき止めているものを、燃やしているだけ。そうすれば自然に流れるようになるでしょう。」
そうだ、これも質問しよう。
「先生、魂はどこにあるの?」
「額、みぞおち、性器、かかとにある。」そうか。しかし性器は意地悪だったり魂だったり忙しいようだ。
天命カウンセリングの山田先生は一霊四魂は、眉間(奇魂)、胸の前(幸魂)、胸の中心(直霊)、胸の奥(荒魂)、下腹(和魂)の5ヶ所だと言っていた。正解はどちらなのだろう。
仏像に魂が入るというが、国宝でも入っていないものもある。と、美術本を見せてくださった。仏像を作った時に、神様仏様がそれを気にいったり、その地域に必要と思われる時に自ら入ってこられるのだそうだ。魂の入っているものとそうでないものをいろいろと見せてくださった。感じてみろと言われるが、凡人の私にはよくわからない。
前回にも聞いたが、耳の下や目の周り、手のひらなどで感じてみるとわかるらしい。そして、石井先生は全身がそうなのだそうだ。全身にヒーリング能力があり、そして宇宙のしくみを見てきたのだそうだ。
先生の周りに最近では、宇宙を守ってい方々が降りてきている人が集まっているのだとか。写真を見せていただいた。しとやかそうな小柄な女性が写っている。この人には天照様が降りてこられているのだそうで、ほら、と今度は天照様の絵を見せてくださった。そっくりな顔をしている。ほかにもそういう人が何人もいて、宇宙のあちこちを守っている神様が降りてこられているそうだ。そして神様がたが先生に助けを求めてきておられるのだそうだ。世の中が荒れすぎて、神様がたが力を出すことが難しいらしい。
これは天命カウンセリングの山田先生も同じことを言っていた。神々を助けたり、地球を浄化する役割を持った人、高級神の分け御霊になった人がたくさん現れているという。
高級神が降りてこられた人が増えているなどという話を聞くと、ミーハーの私は自動的にいいないいな私にも何かあったらいいのに、と思う。きっと不思議で面白いことがたくさん身の回りで起きるに違いない。神さまがついていれば人生ももっとうまくいくはずだし、だいたいカッコいい。自分が人格がすばらしい立派な人になったというお墨付きにも思える。が、身にあまる天命のようなものを背負うのはまっぴらごめんだし、湯船でおならをして遊んだり拾った500円を自分のものにしたり出来なくなるかもしれない……などと妄想していると
「はい、今日はこれまでね」と言われてしまった。私たちがしゃべっている間に、何人もの人が来られて、何人もの人が帰られた。私は長居しすぎたかもしれない。嫌われてはまずいので、おとなしく素直に帰ることにした。
雨の中を帰りながら考えた。山田先生は、「光のマニ宝珠の大神様」を伝授したりすることを通じて、神様を助けたり浄化したりできる人を育てている。
石井先生は、治療を通して炭素を窒素に変えれる人を増やしている。この世に理論が欠けているのが問題とのことで、それを発表しようとしている。
やり方は違うけれど、結局おなじことをしているように思える。