近畿 精神世界 ミーハーの精神世界みてある記 6  京阪神 精神世界
by いずみ
このコーナーでは精神世界や霊の世界について体験したこと、
面白かったことなどを中心にお伝えしていきます。


2003.3月掲載

京阪神 近畿 精神世界  第4部 個の花道場  京阪神 近畿 精神世界 


 個の花道場というのは、メキキという非常にユニークな会社がしている、一種のワークショップだ。個人の持っている花、私流に言えば、その人の内奥にひそむ本質の輝きを引き出し、その輝きから自分の天職や天命を発見していく場だ。などと言うことは、実は私が申し込んだ時には知らなかったし、考えてもいなかった。参加したことのある人たちが個の花道場について語る時の表情は、皆一様にイキイキと輝いている。他の楽しかったことなどを語る時と、声のトーンが全く変わるのだ。どうもただごとではなさそうだし、誘われた勢いで軽く乗ってみることにした。

 3月8〜9日。亀岡の天恩郷。大本教の本部にある研修センターだった。去年、和良久という武道の創始者である前田比良聖さんにお会いした時、強烈な磁石で惹きつけられるような感覚があった。失礼も省みず「私、あなたにとても興味があります」と話しかけたのがご縁で、前田さんに天恩郷を案内していただいたことがある。

 そこはまさに聖地だった。全てが静かで美しく、建物やお庭の隅々木々の一本一本まで、慈しんで心をこめた手が加わっているのが感じられた。あの天恩郷に泊まれる、というのも、私にとっては魅力だった。


個の花道場
 研修室に集合して自己紹介が始まる。簡単なごくありふれた言葉の奥から、その人らしさがにじみ出てくる。言葉ではなくその人の雰囲気、その人らしさ、ああ、この人はこんな人なんだなあという何かが見えてくる。それをどんどんシェアする。そうするとその人がますます輝きを増してくる。(シェア=分かち合う。ここでは、感じたことを語り、受け取ること)

 全体シェアの中で大きなドラマが3つあった。産みの苦しみをみんなで分かち合い支え合う。何かの瞬間に、その人のエネルギーがクッという感じで転換する。場が一気に変わる。
 「場」ということは、頭では知っていた。でもこんな風に刻々と変化し、温度が上がったり下がったりする生き物としての場を、鮮やかに体験したのは初めてだ。何かの時にはリーダーの光さんや、スーパーバイザーの正司さんの、急所をついた的確としか言いようのない言葉が出る。あまりの正確さ的確さに、全身がしびれるような感じがすることもある。が、二人は急所をつくことではなく、私たちの中から本物の何かを引き出すための言葉をくれる。

 メキキでは、ビジョン・天職・天命ということをよく言う。グループワークの課題もそれだった。はっきりとした形でそれらが出てくる人もいるし、そうでない人もいるが、何度も何度もグループでそれを語る練習をしていると、この人の中に何かそれがあるんだな、ということが伝わってくる。みんなの語りを聞いてシェアしたり、自分のビジョンを語ったりするうちに、私はあることに気づいて愕然とした。
 私のビジョンは、具体的ではないが非常にはっきりとしている。その事を考えると、魂がふるえるような喜びと感動がある。そして、自分がよりクリアーになり成長して、そのビジョンを生きることを心の底から望んでいる。
 他の人のを聞いていて、突然あることに気づいた。というより以前から知っていたが、あまり考えたくないテーマなので、避けていることだった。他の人のビジョンや天職天命への想いには、周りの人とともに行動して、社会に貢献していくという姿勢がある。私のビジョンには、自分自身と地球しかない。他人がいないのだ。
 それは決定的に私に欠けていることだった。そのあまり直面したくない事実に気づいた時、私はひどくうろたえてしまった。私のビジョンには他人が存在しないというショックで、無限の彼方へと落ちていくような絶望的な感覚に襲われた。私の番が来てグループの前に立ったものの、涙は出るし足はフラフラで頭はグラグラ、どうしたらいいのか解らなかった。解らないままに仕方なく、自分の中で今起きていることをそのまま言葉にした。私は今うろたえていて、どうしたらいいのか解らない、と。
 するとグループリーダーが「うん。解った。じゃあそのままでいいじゃない。他人がいないままで行ったら」とこともなげに言う。その軽さ、そしてそのままでいいという承認の言葉で、私は瞬時に今ここに戻ってくることができた。


 ありのままの今のままの、このままでいい、ということは、心理療法をしてきた私が仕事上で何度も何度も言ってきた言葉だ。が、自分に関しては、ありのままの私ではダメだ、と思いこんでいた。センタリングして自分の内奥に向かってその言葉を語りかけても、私の中の何かが、今のままではダメだといつもいつも私を裁いていた。それがこの時のリーダーの軽い一言ではじけた。その瞬間、世界が変わった。

 こういった奇跡のような出来事が、あちこちで当たり前のように起きていたようだ。そしてそれは誰がどうした、ということではなく、「場」の持つエネルギーが準備の出来た人を選んで、誰かの口を借りて必要な言葉を語らせ、そして何らかの浄化が起きるのだ。

 ワークしている合間にふと窓の外を見ると、いつも雪が降っていた。時には吹雪となり、時には軽やかな雪のダンスになり、山々を銀色に染めながら、雪はずっと常に私たちを包んでくれていた。会場が熱い熱気で包まれている時も、産みの苦しみに緊張している時も、休憩時間のなごやかなおしゃべりの間も、雪は風に舞い光にきらめき、天恩郷に降り続いた。
 私が発見した(見いだしていただいた)自分の個の花、本質の持つ資質の一つに「静寂」がある。私が立ち上がり、心の奥からわき上がってくる事をそのまま語る時、私の中に静寂があった。そしてたぶん場も静寂につつまれていたように思う。亀岡での2日間降り続いていた雪が、私の中の静寂を引き出してくれる一役をかってくれたのだと思う。

 そして参加者の人たちと、深い絆で結ばれたのを感じた。私たちの中にはいつも人の本質を観る目があり、愛があり、一体感があった。会場のあちこちから私に向かってやってくるあの人この人の暖かい声のトーンが、今でも私の身体の中に残っている。みんなの前でシェアする時の、命の輝きに満ちた一人一人の表情が、瞳の奥にいつまでも残っている。

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 個の花道場は、京都亀岡と東京で、年に数回開催されます。くわしくはメキキのホームページでごらんください。こちらの巻末のリンクページからも行けます。↓

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