精神世界  ミーハーの精神世界みてある記 19  京阪神
by いずみ

2004.4月掲載

精神世界  たましいのリーディング・廣里ひで子さん   京阪神



■「たましいのリーディング」というものをしてくれる人がいるらしい

2003年のたしか5月に、「たましいのリーディング」というものをしてくれる人がいて、3ヶ月くらい待たないといけないみたいだけど、面白いよ、と教えてもらった。

廣里ひで子さんという奈良県の熊野出身の方で、代々そういう能力を持つ家系らしい。なんでも右目から入って魂にコンタクトをとり、情報をもらってきてくれるらしい。
面白そうだ。でも3ヶ月も待つのか、と気短な私は申し込む気にならないままに6月になった。 やっぱり行ってみようと決心して FAXで申し込んだけれど、全く連絡がない。いつまでたっても連絡がない。これはご縁がなかったのか、とあきらめた頃にようやく連絡があり、なんと一番早い予約が翌年の3月だという。

あまりのことにあきれてしまい、これは逆にその頃に必要になるのかもしれないなどとポジティブなことを考えて、予約することにした。

■そして、いつのまにか予約の日が来た。

待ち合わせの場所は、大阪帝国ホテルのロビーだ。予約の確認の紙にはそれ以外に何も書かれていない。
廣里さんをどうやって見つければいいんだろう、幟でも立っているかしらなどとと思いながら行くと、広々としたロビーに真っ白なコートを着た女性が一人立っている。他に誰もいない。その女性は振り向くと「福本さんですか?」と聞いてくれた。この人が廣里さんだ。

セッションルームは見事に余計なものがなにもない空間で、たくさんの百合の花が活けられている。
シンプルな椅子に座り、とてもいい香りのバラのハーブティをいただく。

まずは順番通りに、私は名刺を差し出したが、彼女はそれを見ずにテーブルの上のチラシの下に入れた。
「セッションの時には、先入観を持たないように見ないことにしているんですよ。終わってから見させていただきますね。」とのこと。

「録音させてもらってもいいですか?」最近ipotを賈ってご機嫌の私は、使いたくてしょうがない。が、
「ご遠慮していただいているんですよ。私はこういうものに弱くてすぐに鼻血が出るんですよ。メモはしていただいてけっこうですから。講演などでプロジェクターを使われるような時には、しょうがないので両方の鼻に小さくティッシュを詰めておくんです。話をしている間にタラーでは、皆さんびっくりされるでしょ。」
そうか。それではしょうがない。いとしのipotちゃんは今日はお休み。しかたないからメモしまくるか。

■そして廣里さんはずっと話し続けている。


まずは4月3日に京都でするアンティークオルゴールのコンサートの宣伝。
チラシには「〜花咲く季節に癒されて、なりたい自分に生まれ変わる〜」とある。 これはとても素晴らしいらしい。

廣里さんは会場に来られた方が、アンティークオルゴールの癒しの波動を受け止められるように、心を開くような、魂のよろいを外すようなことをするらしい。そして終了した時にはちゃんと全員もとに戻して帰っていただくのだそうだ。一言もそのことには触れないのだそうだ。
そして参加された方から、このコンサートに来てから人間関係が変化したとか、人生が大きく変わったとか、体の調子がよくなったとかいう感想が寄せられるのだそうだ。
つまりこっそりヒーリング付きで5,500円。安いかもしれない。

それから彼女が主催しているセミナー「リーディングセミナー」と「ホリスティックヒプノセミナー」の紹介だ。これもすばらしそうだ。どんな意図でどんな風にすすめられるのか、ずいぶん詳しくお話してくださった。
廣里さんは一人しかいないので、いつもいつも彼女を頼らなくてすむように、彼女と同じ能力をもてるようになる内容らしい。

どちらのセミナーも月一回で、間の一ヶ月間にさまざまなことが起きるのだそうだ。そのセミナーで扱ったことに関係のあることが、ミニミニドリルとして与えられるのだそうだ。

■次には彼女がどんな生い立ちで今があるのか、という話が始まった。

ここまでで多分40分〜50分くらい使っている。私の時間は2時間だ。料金も決して決して安くない。いつになったらリーディングが始まるのだろう。 などという私の思惑に関係なく、彼女はどんどん話す。
それに2700年も続く能力者の家系に生まれるというのは、どういう体験なのだろう。私はちょっと興味を持ったので、そのまま聞くことにした。

というよりも、彼女の語りにはこちらの有無を言わせない感じがある。ソフトな穏やかな口調でありながら、この質問魔の私に口を挟む余地を全く与えないのだから、ただ者ではない。

廣里さんは33年この仕事をしている、と何度も語っているが、それにしてもどう見ても30代だ。何歳からしているのだろう、と思ったら、なんと3才から仕事をしているというのだ。


中略します。
廣里さんの個人的なことについてのお話なので、
ここに公開してもいいかどうか、問い合わせ中です。
返事が来るまでしばらくお待ちください。
また一ヶ月かかるのかも(-_-;)



もともと先祖は京都に住んでいて、理由は忘れたけれど奈良県の熊野に住むようになり、2700年前に何とか天皇が逃げ延びて来た時に、彼女の家系の人はその天皇がいつどこに現れるかが正確にわかったのだそうだ。
それでお迎えして、追手が現れない道もわかるのでそこを通って、戦闘能力のある人たちのところまでおつれしたのだそうだ。
その時から代々、天皇家に仕えるようになったらしい。天皇家にもずいぶんお妃を差し出しているのだそうだ。

彼女は切れた脳の血管をつないだり、転移したガンを消したりできるという。それも相手に全く触れることなく。
しかし、自分と自分の家族には使えない能力なのだそうで、彼女の体にはずいぶんメスが入っていると言う。

自分や、自分の大切な家族を守ったり、幸せにしたりすることのできない能力というのは、いったい何なのだろう、とその時思った。自分を犠牲にして他者を助けるヒーラーは、20世紀で終わったのだ、と私は勝手に考えている。
これからの時代には、人をヒーリングしながら自分もより癒させて豊かになっていくのが当たり前になるはずだ。そしてヒーリングしたりリーディングしたりするのが、ごく当たり前のことになるだろう。

そして、能力が人を幸せにするわけではないことは、私も知っている。でも、能力を人も自分も幸せになるために使えるようになるはずだ、と私は思う。そうあって欲しいと思う。

ちょびっと中略



なんだかわからないが、個人というものが存在しない世界らしい。家系とその能力を保つために最善のシステムができ上がっているようだが、一人の人間としての感情や願い、夢やいわゆる普通の生活というものが、まったく考慮されていない。道具として育てられた人たちなのだ。

彼女以前の能力者の人は、全く感情というものがなかった、と聞いたと思う。
おそらく感情があるとできないような仕事も、していたのではないだろうか。今でこそ日本の中では表立った戦乱はないけれど、歴史音痴の私ですら天皇家の歴史が生半可なものではないことは想像がつく。だからきっと…というのは私の勝手な推測だけれど。

現代の日本にこのような家系が存在して、そのシステムがまだ生きているということが、私には驚きだった。コミックスで似たような話は読むけれど、それが本当にあるなんて。
うーむ、すごすぎる。

■それから、やっとこのセッションの話が始まった。

彼女が話をしている間に、私の魂とコンタクトしやすいように、私の心身の緊張を緩めるのだそうだ。眠たくなることもあるらしい。 そしてこうして話をしている間に、私のたましいがどんな情報を彼女に読んでほしいのか考えて、情報をまとめてくれるらしい。
そうか。たましいさん、よろしくね。

一人の人の過去世は500から800くらいあるらしい。彼女は、自分のフィルターを通して相手を見ないように、相手の出しているアンテナに合わせて必要な情報を得られるようにリーディングするのだそうだ。
そんなことを普通に話をしながら、どうやってするのだろう? ちょっと聞きたい気もしたが、まずは自分のセッションだ。

そしていよいよ始まった。
彼女の右目と私の右目がごく近い距離になれるように、椅子を動かして座り直す。
彼女の右目が私の右目をのぞき込んでいるのは、数分間らしい。その間、まばたきをするのはOKだそうだ。そして人によっては彼女の目に映像が見えたりするらしい。それは彼女の過去世なので別に気にすることはないとのこと。
そして彼女は、私のたましいの語る言葉を一言一句間違えずに覚えてくるのだそうだ。一言でも言葉が違うと意味が違ってしまうという。だから必然的に、一度に覚えられる量の情報になるのだそうだ。

そして私の右目の前に、彼女の右目がやってきた………


終了。

椅子を元の場所に置き直して、話してもらう。私は必死でメモをとる。
以下はその時のメモの一部だ。

■過去世の私がグループごとに分かれている。

男性と女性は半々くらいで、どちらかというと女性の過去世が少し多い。
グループは傷ごとに集まっていて、ベースは全部同じ。

肌は褐色で、砂漠の遊牧民だった。私たちは水を求めて移動している。
私は7才の女の子で、足にケガをして歩けなくなってきた。でも早く歩かないと生きていけない。おぶってくれる人もいない。
私の親はすでにいない。私はついていけない、一人おいて行かれそうだ。みんな生きていくのに必死で、私のことに注意を払う余裕がない。
私は勇気を振り絞って 「置いていかないで、まって。」と言ったが、誰も振り返らなかった。
絶望感。私は一度も弱音をはいたことがなかった。生まれて初めての助けを求める叫びだったのに。
助けを求めても助けてもらえない傷は深い。
最初から助けを求めぬ方が、傷つかないですんだ。その方がよかった。
今度置いていかれないためには、何でもする、と叫びに近い決心をした。
置いていかれないためには、何でもする
一人にならないためなら、何でもする
人生の最後に、これが必ず来る。


中国、イタリア、日本でよく似た過去世がある。
息子のいる母親で、息子は4才くらい。逃げるために川を泳いで渡ろうとした。周りには他に誰もいない。息子と手をつないで、川を渡ったが、水の流れで手が離れてしまう。
私は必死で探すが、二度と会えない。 いつのまにか私は向こう岸についてしまい、他の人が私を助けてくれる。私はもう一度川に戻って息子を探そうとするが、その人に止められる。あきらめなさいと言われるが、私はパニックになる。
私は抜け殻のようになって歩いていく。子供が死んでしまったのに、私は死ねない。 あの子を死なせたのは私だ。
あの子を助けるためなら、何でもする。それが可能ならこの命をかけてもいい、と自分を責めていた。
自分だけ幸せになってはいけない。重い十字架を背負っていた。
人の役にたたなければならない。まず人のことをしなければならない。

男性だった時の人生は、学問をしていることが多い。哲学や研究、学者、何かを追及する仕事をしていた。たくさんの国でそれを体験している。
家庭は持たなかった。人の感情を遮るように、研究に没頭した。非常に優秀だった。
男性の時には、ほとんど全部学問の追求をしていたようだ。
自分を崖っぷちに追いやって自分を頑張らせていた。自分へのいましめのように。
それはすべて自分で望んでしていた。 人の役に立つことをしていた。
まるで自分を責めるように。

女性の過去世はシャーマン的な仕事が多い。人の役に立つことをしていた。
メキシコの古い時代、古代では、シャーマンの仕事をやめられなかった。みんなの期待があり、私がやめると代わる人がいないので、自分を犠牲にしていた。

自分だけが幸せになったらあかん、家族が大事と思う。
人のためなら何でもする。自分を犠牲にしてしまう。

今回、初めて、自由になるために生まれてきた。
人がなんと言おうが、全く関係ない。 人にどう思われようが、自分を一番に考えたい。
そう決心しないと動けない。 自分が自由になる人生がテーマ。
自分を犠牲にせずに、人の役にたつことをする。これはどうしてもはずせない。
〜のためなら何でもする、自分を犠牲にするという癖がすぐに出てくる。

わがまま、非常識と自分を責めるが、今回は自分のためにしないと、調整できない。
自由になれない。
ほっといても人を踏み台にする事には絶対にならない。 逆の人生が多いから。
人を不幸にするようでも、本当はそうではない、と伝えてください。
相手が非難してきても、相手のため、の配役しか選んでいない。
自立する必要のある人、感謝のたりない人、依存的な人、そういう学びの人が集まってきやすい。 相手がののしろうが、何と言おうが、周りの人が自分の足で立つようになさい。
相手の人生を全部支配してはダメ。そういう学びの人が多い。
手をさしのべなくていい人たち。 ついその人たちを支えてしまう。
足ひきずりながらでも、その人たちは本当は歩ける。

私はツエになってしまう。
相手は、人にも人生があること、自分の足で立てることを学ぶ必要がある。
それを今までしてこなかった人。実行してこなかった人。
ツエはツエ、絆ではなくツエ
相手を利用しようとする悪い気持ちはない。だから厄介。
でもツエなくてももう歩ける人を設定している。
今回私がツエをしてしまうと、その人たちは次回もツエがないと生きていけない人生になる。
ツエを切れば、絆の人が現れる。

■私はすごくすごく、非常に思い当たることがあった。

マヤさんのチャネリングや集中セッション、木場さん岡本さんセッションなどで明らかになってきたことと、語られる言葉の表現は違うけれど、ほぼ同じことを言われていると思った。
そして、紹介される過去世一つ一つのポイントが、今の私の中に無条件で存在しているものだと感じた。
とてもとても思い当たることばかりだった。
わたしのたましいさんが、今の私のために選んでくれたものばかりなのだ、ということが本当に納得できた。

■「今回は、ここに確かめに来たのね」と言われて、私はうなずいた。

そして十分に満足して、帰ろうとしても、まだまだ彼女の話は終わらない。
いつのまにかまた彼女のしているセミナーの話になった。 特にリーディングの、能力開発的なセミナーに来るといいという。能力が現れてきた時に自分を守る方法を知らないと危ない、このセミナーではそこのところを十分に注意してやるので、ぜひ来るといいですよ、春からのはいっぱいだから秋からのならまだ大丈夫だから、ということらしい。

私に何らかの危うさを感じたのだろうか。私の気のせいかもしれないが、彼女は非常に熱心にさそってくれた。 玄関口で30分も話をしてくれて、彼女はなんだかまだまだ話したりないような雰囲気だった。

彼女があんなにも自分を語るのは、2700年に及ぶ家系のカルマを背負った彼女が、自分は道具ではなく一人の人間なのだ、普通の生活、普通の感情があるのだ、と主張しているように思った。
それを語らずにはいられない様子だった。

そして、つまり、もしかして、彼女のテーマと私のテーマは重なっている?
自分をツエ、つまり道具として扱われることをよしとしてきた長い歴史が、彼女にも私にもあるのだ。そして彼女も仕事柄、自分を犠牲にしてでも他者のためにさまざまなことをしてきたはずだ。それも私と同じだ。

そういえばこんな会話があった。 私は最近、あるセッションを受けてからためにためてきた悲しみと恐怖の感情が流れ出している。そのことを彼女に少し話した時に、
「そう。悲しみと恐怖や怒りを浄化して、最後には『愛して欲しかった』そこまで行って欲しいんです。私のセミナーではそこまで行けるようにします。」というような事を彼女は言った。

この『愛して欲しかった』という言葉が発せられた時、他の言葉とは明らかに違うエネルギーがあった。その時の彼女の声を思い出すと、なんだか切ないようないじらしいような感覚が私の中によみがえる。

しかし、どれほど自分が大いなる者から愛されているか、この地球から、この宇宙から祝福され望まれているか、彼女は気づいているのだろうか。
何があっても、どんなことをしても、私たちは愛されて、愛されて、愛されて、愛されて、愛されて、愛されて、愛されている。

そのことに深く気づくことができたら、あんなにも自分を語る必要はなくなるし、自分は犠牲者だと思う必要もなくなるだろう。そして能力を自分を幸せにする方向に使えるようになるに違いない。私はそう想う。